やきもの随想

「一焼き、二土、三細工」



粘土の来歴
土にも個性が
稲藁の痕
弥生の土(1)
弥生の土(2)
難波津焼



造形方法
美の背景
ビールマンとフォスベリー、そして末續慎吾


釉薬とは
灰の不思議
灰汁



焼成方法
火=炎の力




陶芸とやきもの
偉大な韓国人
感性的感情
劫の想像力
水晶を飼う

陶芸とやきもの


やきもの随想では、《やきもの》という言葉に愛着を感じて使っていますが、《陶芸》という言葉もだいたい同じような意味で使われています。しかし微妙にニュアンスが違うように思います。

ちなみに広辞苑で調べて見ますと、
《やきもの・焼物》…磁器・陶器・せっき・土器の総称。「焼物師・陶工」
《陶芸》…陶磁器の芸術。「陶芸家」
となっていて、前者が「焼かれてできる物、その物」を示すのに対して、後者は「焼物の芸術性」を示しています。

このふたつをよーく眺めてみますと、
 《やきもの・焼物》は「焼物師・陶工」が付け加わることで、にわかに職人によって作られたやきものが浮かびます。土を掘り土を踏み土を寝かせてロクロでつくる。草を刈り燃やし灰を集めて釉薬をつくる。木を割って薪を作り窯焚きの準備して親方と一緒に窯を焚く。
今はほとんどなくなった徒弟制度のもとでの仕事場の情景が浮かびます。そこには、伝承と経験によって蓄積された知恵と確かな手わざがあり、なにより肉体労働のにおいを残しています。
 《陶芸》のほうは焼物の芸術ということで、アトリエでひとり造形作品を創っている「陶芸家」の姿が浮かび、ひときわ高いレベルが要求される美術工芸品や個性や独創性が求められる芸術作品がイメージされます。頭脳と感性と技量が重要で、肉体労働のにおいはほとんど消えています。

これから考えたいことは、《やきもの》《陶芸》それぞれがはらむ問題意識です。
《焼》《物》《陶》《芸》に分解して考えてみるのもひとつの方法です。
《物》とは何でしょう?物の意味やあり方を問うた《オブジェ》。古臭い語感のする《やきもの》からもう一度《オブジェ》を問いなおすこともできます。
《陶芸教室》がいたるところにできたおかげで、今は誰もが陶芸を体験できる時代です。いちど《焼物教室》として考えてみるのもおもしろいでしょう。








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