やきもの随想

「一焼き、二土、三細工」



粘土の来歴
土にも個性が
稲藁の痕
弥生の土(1)
弥生の土(2)
難波津焼



造形方法
美の背景
ビールマンとフォスベリー、そして末續慎吾


釉薬とは
灰の不思議
灰汁



焼成方法
火=炎の力




陶芸とやきもの
偉大な韓国人
感性的感情
劫の想像力
水晶を飼う




水晶を飼う


少年時代のはなしです。山は身近な遊び場のひとつでした。
鳥のわなを仕掛けたり、イギノハ餅にするためのイギ、一般的にはサンキライと言われていますが、その葉を採ったり、鎮守の森で椎を採ったり、家族総出で薪にするための木を切り出しに行くこともありました。
 そんななかとりわけ秘密にしていたことがありました。それは水晶を採りに行くことでした。

周囲はほどほど木が生えていたように記憶しますが、水晶の生息地は丸みを帯びた地表がポッカリと露出していました。盆栽のように枝が歪曲し成長のおくれた松の木がごくわずか生えていたように思います。
露出した部分は狭いとはいえ、25mプールくらいの広さがあり、ふんわりとした小山がふたつくらいあってかなりきつい斜面もあります。水の流れで侵食された深い溝が幾筋か通っています。小山は巨大な岩が風化を受け、砕け、さらに細かい砂質のようなボロボロのものになっていたようでした。
 その秘密の場所は、段段畑の水田を少し登ったところの堤を通って、さらに少し登ったところだったかと思いますが、段段畑までの地図はくっきりと目の前に浮かぶのですが、その先の堤と現場までの地図に深く霧がかかっているのです。しかし水晶の生息地の情景はまだら模様の記憶のなかから蘇ります。
 水晶はマサツチにもなっていないかなり硬い小山の表面を手鍬のような道具で掘ったような気がします。生きている水晶は6角柱を中央に6角錐が連続した形で両端に付き、透き通っていました。死んだ水晶は「ごいし」と言って角が取れて透明感がなくなり白くなっています。
完全に生きている水晶から、丸く真っ白いものまでいろいろの段階のものがありましたが、生きているものを水晶と呼びました。生きている状態から死んでいる状態までが実在の物としてそこにあるので水晶の生命については疑いませんでした。水晶が地表に出ると太陽や空気に直接あたって「ごいし」になると信じていました。事実地表には「ごいし」がかなりあったように記憶します。
 掘り出した水晶は土の中に入れて大事に持って帰ったのでしょうが、どのような状態で持ち帰ったのか覚えていません。家に着くと赤土を入れた金魚鉢の中にそっと埋めてやりました。赤土についてもハッキリしません。金魚鉢に入れたとはいえ、金魚を見るように水晶が見えるわけではありません。完全に土の中に埋まっているのですから。
ときどき生存を確認するために水晶を取り出しました。そのとき、以前埋めた場所からわずかながら移動している水晶を感じ、水晶の生命を強く信じました。
 餌も与えずに水晶を飼っていた少年時代のおはなしです。




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