徒然の記

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2005年3月1日(火) 都心では

ここ数年間は大阪の都心では建物の建設がそんなになかったように思いますが、最近ではやたらとクレーンが立ち並び、建設ラッシュの観があります。
写真は難波橋の南側の歩道から梅田の方向を写したものです。

2005年3月2日(水) 囲碁が語源の言葉

囲碁の用語で日常に使われている言葉は意外と多いものです。
ちょっと思いつくものを挙げましょう。

●一目置く(いちもくおく)
 ……「あの人には一目置いている」

●岡目八目、傍目八目(おかめはちもく)
 ……対局している当事者よりは横で見ている人のほうが冷静で物事を正しく判断できるというような意味で使われます。
しかし「そんなことを言ったって、岡目八目だろう」というように傍観者はあくまで傍観者であって当事者ほどの真剣さはない、という使われ方もします。

●駄目を押す(だめをおす)
 ……野球中継などで解説者が「今の得点は駄目押し点でしたね。」などと言いますが、勝負が確実になった後にさらい得点して勝負を決定的にした時などに使います。
そもそも「ダメ」とは双方にとって意味のない(地にならない)地点のことを言います。
 
●中押し(ちゅうおし)
 ……途中で勝負が付いてギブアップすること。

●他にも、「目算」「終局」「手抜き」などよく使われます。

2005年3月3日(木) 「うれしいひな祭り」

3月3日は女の子の節句、ひな祭りです。
サトウハチローの詩で「うれしいひな祭り」という童謡があります。
この歌詞の2番は次のようです。
『お内裏様と おひな様
 二人ならんで すまし顔
 お嫁にいらした 姉様に
 よく似た官女の 白い顔』

この【お嫁にいらした 姉様】はサトウハチローの実の姉か、兄嫁かズート疑問に思っていた、という話題が、車のラジオから聴こえてきました。
答は、ハチローの実のお姉さんだということです。

お姉さんは結婚が決まっていて、その日を指折り数えて待っていたそうですが、
結核にかかって式をあげることなく亡くなったそうです。
そんなお姉さんの無念の思いをハチローはこの歌で、無事嫁いだかのように詩ったのでした。
この歌はハチロー離婚後のもので、母のいないわが子の慰めにつくったということです。
こうしてみると、「うれしいひな祭り」は題名と違って随分、切なげな感じがしてきます。


2005年3月4日(金) タカダワタル的

近くのログハウスのカフェ『氣遊』で高田渡さんのライブがありました。
NHK FMからタイムリーにも友部正人さんの「にんじん」と高田渡さんの「夕焼け」が流れてきました。
時は夕刻、急いで空を眺めると、日没間近で西の空が赤く染まっていました。


実際の年齢よりはるか歳を重ねた哲学者のような面持ちの高田渡。
言葉をひとつひとつ空間に置いて行くような
あるいは空間を刻みオブジェでも造るような歌いっぷり。
丁寧で、デリケートで、力強くもある彼の肉声はやはりいい。

高田渡さんのホームページ

2005年3月5日(土) 啓蟄だというのに

冬眠していた虫たちも陽気に誘われてそろそろ地中から這い出てくる頃ですが、このところの寒さで虫たちの活動もまだまだ先になりそうです。
昨夜からの雪で今朝は雪が残っています。
裏山に出てみますと、整備された所とそうでないところの差は一目瞭然です。
今シーズンはもうないでしょうが、大量の雪が降ると雪の重みでますますダメージを受けることでしょう。


整備された区域


整備されてない区域


2005年3月6日(日) 風化花崗岩

工房から車で15分、10qも走ると昔、花崗岩を取り出していた現場に着きました。
「石英や長石の粒子が山ほどある」という、石や鉱物の魅力にとりつかれている松宮さんに案内されて初めて来ました。
剥き出しの山肌で気にはなっていましたが……

さっそく山ほどある風化花崗岩の粒を少しばかりいただくことにしました。
この粒を粘土に混ぜて少し荒っぽい表情の作品に仕上げるのです。
能勢は花崗岩質の山が多く、以前は他所の山の川に溜まった砂を使いました。
違いがあるかどうか、定かではありませんが。


工房に持ち帰って何種類かの篩でこして、粘土に混ぜて使う


昔の面影を残す


松宮さんは石ころの中の鉱物探しに夢中

2005年3月7日(月) 青〜その1

昨年の12月に色に焦点を当てて少し書きましたが、今回は青です。
田畑のあぜや道端に早春を告げる「オオイヌフグリ」の青い花が可憐に咲いています。
青い野草って意外と少ないもので、「ツユクサ」と並んで青を代表する野草だと思います。


春の陽射しを受けて気持ちよさそう


2005年3月8日(火) 銀箔

鉱物採集に精を出している松宮さんに電話すると、『今、多田銀山です。』という応え。
多田銀山⇒(2004.11.04の徒然の記)
岩石をたたきわって銀を探している様子です。たった一人で。
膨大な量の岩石の中から見つけるのは至難の業です。
岩石1トンに対しておよそ0.5グラムしか銀は含まれていないということらしいのです。
『今日はまだ見つからない。』と松宮さん。
そんなに簡単に見つかるとは思えませんが……

薄暗くなった頃、片手に石を持って工房に訪ねて来ました。
『最後のひとたたきで、見つかった。……よかったぁ〜。』
と言って、私に示してくれました。
早速ルーペで石の表面を覗くと、銀箔と緑青がわずかに見えます。
これを見つけるのはやはり大変なことと、あらためて実感しました。
ルーペ越しに写真を撮りましたが、ちょっと見にくいようです。


ルーペ越しに銀箔と緑青が見える。


この石の表面に銀箔が付着している。



松宮さんの眠っていた鉱物愛を刺激したのが船木さん。
船木さんのホームページは二人の鉱物愛の記録です。
鉱物の写真もきれいでよく解ります。

船木さんのホームページ[自然探索同好会]




2005年3月9日(水) 西林寺の地蔵

工房から歩いて5〜6分のところに曹洞宗のお寺「西林寺」があります。
住職は博識でその思索は深く、また神道からキリスト教までその思索は広くもあります。
「哲学も宗教も世界を認識するという目的は同じだが、宗教は業を通じて体得する。」というようなことを言われていたのが印象に残ります。

境内の隅に小さな石仏がたくさんあったように思い、行ってみるとやはりありました。
長い年月の風雨を得て表情の細部まではわかりませんが、その時の流れに遊ぶのがよいともいえます。




2005年3月10日(木) 一の鳥居

田舎道を走っていると、田園の中にポツンと鳥居が立っている光景を時々見かけます。
「なぜこんなところに鳥居が?」と思うこともあります。
時には、鳥居の下を車が走っていることもあります。
その先には大概こんもりした森が控えています。
鎮守の森です。
最初の鳥居が「一の鳥居」で社殿に近づくにつれ、「二の鳥居」[三の鳥居」と言うそうです。
鳥居は神様の聖域と人間世界の境界で、社殿に近づくにつれ聖域度を増します。
一の鳥居から社殿まで1キロ以上にわたることもあり、当時の人たちと神社との関わりをよく示しています。
風景も変わり意味も失いつつある「一の鳥居の参道」。
大いに活気ずくのは祭りのときでしょうか。

2005年3月11日(金) 錆びたジャングルジム

公園や幼稚園などにはよくあるジャングルジム。
子どものころ、ブランコ、滑り台、鉄棒と並んでお世話になった遊具です。
時々、通る道端にかなり錆びたジャングルジムが置いてあります。
人通りも少なく、これで遊ぶ人はいないようです。
ごみではないようですし、なぜここにあるのか?
かといって、公園にあっても錆びているので撤去されるでしょう。
錆を落としてペンキを塗り、再利用するつもりでしょうか?そんなことはないでしょう。

やはり所を得ているというべきか。
以前から気になっている錆びたジャングルジム。………
解体せずに錆びるにまかせてずーとジャングルジムで居続けて欲しいものです。




2005年3月12日(土) 雨粒

昨日は大きな雷がふたつ。
今日は霰や雨や天候が激しく変化した一日でした。
窓辺の枝には雨粒が。

東大寺二月堂のお水取りは明日。
関西に春が訪れるといいますが…


2005年3月13日(日) 幻の六地蔵

日本で最も古い六地蔵が能勢町の山中にあるという文献を読んで、先日探しに行きましたが見あたりませんでした。
もう少し上の方に在るのかもしれません。
途中、二の腕より太い藤蔓などが行く手を阻んで難儀をしました。
他の地蔵と思われる石仏はありましたが、もう一度探してみようと思います。





2005年3月14日(月) 地蔵菩薩と弥勒菩薩と太陽

最近、石仏をよく目にしますが、なかでも地蔵が多いことに気がつきました。
仏教では釈迦の死後、56億7000万年後に弥勒菩薩が現れ、人々を救済するといわれています。
地蔵菩薩は弥勒菩薩が出現するまでの間、人々を救う役目を持つとされています。
しかも生きている間だけではなく、死んでから「六道輪廻」する間もズート苦しみを共にし、一切衆生を救ってくれるといわれています。
地蔵信仰は平安時代後期に貴族の間で高まり、鎌倉時代には一般庶民にも広まったそうです。
地獄へ落ちるのではなく極楽浄土へ行きたいと願うのはいつの世も同じです。

ところで太陽の寿命はおよそ100億年。
すでに46億年が経過したといわれています。
真実のほどは解りませんが、妙に弥勒菩薩の出現の時と近い気がします。


2005年3月15日(火) つぼみ〜その後

2月25日のつぼみのその後です。
20日経ったのにほとんど変化がないように見えます。
開花時期の予測はみごと外れました。


2005年3月16日(水) 六地蔵

13日の『幻の六地蔵』を発見しました。
やはりもう少し登るべきでした。
そんなに高くない山の頂上に墓地があり、その入り口に六地蔵が並んで建っていました。

花崗岩に地蔵が半肉彫りされていますが、風化がすすんで形がよくわかりません。
それぞれの地蔵の下の石面に願文が刻まれているということですが、やはり解りません。
一番右の地蔵には「応安二年 酉六月廿四日」と彫られているそうです。
応安二年とは1369年に当たります。
一面に六地蔵を彫ったものはもう少し古いものがあるそうですが、一基づつ六地蔵を表現したもので年代が刻まれたものではこの六地蔵が日本で一番古いということです。

六地蔵から30メートルばかり登ると山の頂。
明治9年に墓地埋葬場としての免許を得た墓地がありました。
村人が亡くなると、山頂まで運んで土葬していたようです。


西日を少し受けている。同時代に建てられたと思われる別の地蔵も。


600年以上も佇み続ける地蔵。地蔵の下に文字が彫られているというが解らない。


杉木立の向こうに太陽が。六地蔵の前から撮影。


石碑の裏には[明治9年 免許」の文字。横の老木はすっかり枯れているが立っている。


山から下りると、太陽が沈みかけていた。

2005年3月17日(木) ハッケヨーイ、ノコッタ、ノコッタ

新三役の琴欧州と白鵬が多少もたついているのとは対照的に、今場所も朝青龍が抜群の強さを発揮しています。
先場所は全勝優勝をしているので、今日で連勝を20に伸ばしました。
大横綱の千代の富士は1990年の3月17日、通産1000勝を記録しています。
そして引退するまで1045の勝ち星をあげました。もちろん歴代1位の記録です。

ところで力士が勝負をしている最中、行事が「ハッケヨーイ」「ノコッタ」と言います。
「ハッケヨーイ」は「発気揚々(はっきようよう)」で「気を発して戦え」「気合を入れろ」ということらしいです。
がっぷり組んで動かなくなったときなんかに「ハッキヨイ」と気合を入れます。
朝青龍はまさに「発気揚々」としています。

2005年3月18日(金) 五右衛門風呂

普段は通らない能勢の道を車で走っていると道端に置いてある五右衛門風呂が目にとまりました。
鉄の鋳物でできていて、直接下から火を焚いて温度を上げる釜です。
風呂に入るときは木の蓋の上の足を乗せて、蓋を上手に風呂の底に沈めながら入ります。
鉄の部分に体が触れるととても熱いので釜の中では木の蓋に乗ったままじっとしていたものです。
昭和30年代はまだ、田舎では一般的に使われていましたが、今ではほとんど使われていないようです。

この五右衛門風呂も役目を終え、広々とした屋外で次の役割を演じているようです。
風呂の時は外側から火を受けていましたが、今度は釜の内側から火を受けることになりました。



2005年3月19日(土) 浮峠

二つの集落を結ぶ浮峠。
標高差80m、距離にして1500mくらいの峠でしょうか。
道が舗装してありますので車でも通れますが、地元の人が時々通るくらいでしょう。
木立のトンネルになっている箇所もあってなかなか趣があります。
その昔、池田市から能勢町を通って篠山市福住に至る街道を丹波街道(丹州街道)と言っていました。
年貢米や薪炭などの搬出路として、また丹波杜氏が行き交い、たいそう賑わったようです。
浮き峠はその丹波街道の一部です。
今はR173が通り、旧街道の面影は全くありません。

ひっそりと寂しい浮峠。
今では通学路になっています。
この峠を通って4km以上も歩いて通う小学生もいます。


浮峠。右の林では椎茸の栽培をしている。

2005年3月20日(日) 溜池

工房の裏山にはよく管理された溜池があります。
この溜池は地下水と城山(工房の裏山の名称)からの水と雨水でいつも豊かな水量を蓄えています。それに何年も住みついている風格のある鯉がかなりいます。
まだ寒いせいか、姿を見せませんが。
能勢は山間地にあるために棚田がおおく、棚田の一番上の山際に水を供給するためこのような溜池がたくさんあるわけです。
ところで近年、休耕地や作付け変更、宅地化などで圃場が次第に少なくたって溜池は本来の役割を失ったり、埋め立てられたりしています。
山際を歩くと溜池の寂しい情景をよく目にします。




城山(工房の裏の山)は深くはないが、晴天が続いても上の池にちょろちょろと水を送る。


五月になると鯉が姿を見せる。(昨年5月、撮影)


すぐ近くの池。使われていないが比較的きれい。シーズンになるとウシガエルが鳴く。

2005年3月21日(月) 彼岸の中日

今日は彼岸の中日、正確に言えば昨日でした。
年によって20日になるか21日になるか、今年は20日でした。
太陽が真東から昇って真西に沈む日で、昼と夜の長さが同じ日と習いました。
彼岸の中日は春分の日でもあります。
真西に太陽が沈み、西方浄土の仏教の考え方とも一致し、『自然をたたえ、生命を慈しむ』祝日になっています。

2005年3月22日(火) 放送記念日

1925年(対象14年)の3月22日、NHKが日本初のラジオの仮放送を行ないました。
NHKはこの日を1943年に放送記念日としました。
今年の放送記念日は実験放送がはじまってちょうど80年を迎えるということで4日間にわたってラジオ放送の意味を問い直す特別番組を放送していました。
この番組のなかで特に印象に残ったことは「ラジオのイメージ喚起力」で、目に見えないだけに聞いている人が自由にイメージを広げることができるということをいろんな形で私たちに伝えようとしたことです。
例えば昭和18年から放送された徳川無声による吉川英治の『宮本武蔵』の朗読を再放送してその声の力を再認識させてくれました。
朗読やラジオドラマは大変魅力的なジャンルだと思います。

2005年3月23日(水) ルネ・マグリット

シュールレアリズムの画家、マグリットの面白い絵を見つけました。

マグリットの絵(1)

マグリットの絵(2)


チェスと囲碁。
チェスだと将棋の方が類似点が多いのですが、あえて囲碁をイメージしているところが面白い。
それにしてもふたつの絵はテーブルの上が違うだけで後は全く同じように見えます。

2005年3月24日(木) 孟宗竹と藪椿

孟宗竹と藪椿の組み合わせ。
どちらも簡素でいいです。




2005年3月25日(金) 藪椿

藪椿といえば工房のすぐ裏山に風格のある大木が佇んでいます。
昨年の8月30日の徒然の記でその幹を紹介しています。





2005年3月26日(土) つぼみ〜その後の後

白木蓮のつぼみが3月15日の時に比べて大分ゆるんだ気がします。
時々寒波があるので、どうしたものか考えているようです。
これからは速いでしょう。


2005年3月27日(日) 充満

時々車で通る道路際におもしろい建物があります。
建設は途上で中断していますが、興味深いのは一階部分。
石積みが軟弱なためコンクリートの柱を立てて基礎を作りその上に建てようとしたものですが、石積み部分が一階のように見えて一瞬『これは何だ?』と思ってしまいます。




2005年3月28日(月) 続・藪椿

三日前の藪椿。
藪椿の下にはお墓と石仏があります。
良い関係です。






2005年3月29日(火) つぼみ〜その後の後の後

三日前に報告したばかりの白木蓮のつぼみですが、急速に開花に向けて動き出したようです。
今年はいつまでも寒く、今でも薄氷が張る日もあります。
ウグイスは上手に鳴いています。


2005年3月30日(水) 入木道

30日の早朝4時からNHKラジオのラジオ深夜便「こころの時代」での話。

「書聖王義之が歩いていると大工の棟梁が削ったすばらしい柱が目に入った。棟梁は昼休みで留守。王義之はその柱に字を書きたい欲求を抑えきれず字を書いて立ち去った。帰ってきた棟梁は烈火のごとく怒り、字を消そうとカンナを掛けるが字は消えない。三分(さんぶ)削っても消えない。不思議に思って人に聞くと、それは王義之の字に違いない。『そんな字が書けるのは王義之しかいない』と誰もが言う。その柱一本で家が2軒も3軒も建つと。…………」
この話は書の垂直性(縦の深さ=精神性)を言っています。
筆を垂直に立ててきりでえぐるように書くのが良いのです。
ところが現代は筆を斜めに傾けて引っ張るような書き方になっていると言います。
今の日本の書は技法は多彩だが平面的で軽い(心が無い)と。

王義之の先ほどの逸話から書のことを[入木道]と言うそうです。
確かに2次元平面の垂直の広がりは見えないだけに困難ですが大切です。

2005年3月31日(木) ピンク〜その1

春めいてくるにつれて大地にかわいい草の花が発見できるようになってきました。
シソ科のヒメオドリコソウです。
ピンクの花を咲かせますが、葉も上の方はピンクがかっています。
この時期いたるところで見かけますが、愛らしいものです。



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