徒然の記

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2005年2月10日(木) 『脱構築マルセル・デュシャン展』(福岡展終了)

2月1日から6日まで福岡(ギャラリー風)で開催していました『脱構築マルセル・デュシャン展』には大勢の人にご覧いただきありがとうございました。
福岡の詩人、小説家、木工作家、版画家、彫刻家、画家、CGアーチスト、建築家、造園家、映像プロデューサー、……物づくりに携わるさまざまな人と交流ができて有意義な一週間でした。

2005年2月11日(金) 『月夜』

福岡で見かけた『月夜』という小品です。
小枝と古びた木、錆びた鉄板、わずかに着色した簡素な造形ですが、惹き付けるものがあります。
立像は月夜と測りあえるほどの何かを感じさせてくれます。


2005年2月12日(土) 黒木耀治さんのパステル画

今回の福岡滞在中、学生時代たいへんお世話になった画家、黒木耀治さんの大切にされていたパステル画をいただきました。
前回お会いしたのが10年以上前のことになるでしょうか。
そのときも絵をいただきました。
多義的な解釈を許す懐の深い絵でしたが、私には明確なイメージが浮かんでいました。

このほどは女性像です。
西洋のなかの東洋、女性の中の男性、剄さと危うさなどアンビバレンツな趣が感じられ大変魅力的です。仏像にも通じるものを感じます。
黒木さん。ありがとうございました。
この女性の内面を見つめながら創作します。

2005年2月13日(日) 木版画

福岡滞在中、知り合った版画家の角間貴生さんの工房を訪ねました。
木版画は中学生のとき誰もが経験しますが、大概白と黒の世界で浮世絵のような多色の版画は経験しません。
一口に木版画と言っても様々な技法があるようです。
角間さんはホームセンター等で購入できるラワンベニヤを適当な大きさにした版木に彫刻刀である程度彫り、色を塗って、紙に刷ります。
そして再び先ほどの版木を彫り進め、違う色を塗って、先ほど刷った紙の上から刷ります。
さらに版木を彫り、刷ります。
このような工程を4〜5回繰り返して完成させるそうです。
このような技法は少数派だということです。
刷った色の上に他の色が幾重にも重なる箇所もでき、奥行きのある表現ができるようです。
またワイヤーブラシでベニヤの木目を荒立てたりして物質感を移す試みもされているようです。
重層的な表現や物質感の表現など問題意識の共通性も感じます。


最初に彫って、色を塗り、刷った状態の版木


黄と紫とピンクを塗った紙に上の写真の版木を刷った状態


版画は違うが、刷り重ねて完成(?)した版画

2005年2月14日(月) 彫塑

福岡滞在中に知り合った彫刻家の天野洋満さんを訪ねました。
彫塑といえば、以前はよく美術教室で見かけた石膏でつくられた胸像などが思い浮かびますが、今ではプラスチックでつくることが多いということです。勉強不足で、初めて知りました。
製作工程を伺うと丁寧に教えてくださいました。
石膏に比べ丈夫で、軽く、持ち運びも良いようです。
天野さんの彫刻展は2月20日まで
福岡市城南区東油山のギャラリー画椰(がや)TEL092-873−0033で開かれています。


PM5:30 バスを待つ人


引越し中の工房で説明をしてくださる天野さん

2005年2月15日(火) 人間国宝

重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の制度が始まったのが1955年の2月15日です。
一回目の認定者には富本憲吉、石黒宗磨、浜田庄司、荒川豊蔵の陶芸家をはじめ、江戸小紋、伊勢型紙、蒔絵、銅鑼、衣装人形などの工人18人がいます。
徒弟制度が崩壊しつつある今、消え去った工芸も多く、伝統の技を絶やさず伝承していくことは困難を極めるでしょうが、「技」のなかに生きる精神のようなものが生き続けると良いですね。

2005年2月16日(水) 李朝白磁

一口に李朝といっても1392年から1910年までと長期にわたります。
中国の白磁が均整の取れた堂々たる華麗な姿だとすると、李朝白磁は朱子学を反映してか簡素でストイックで気品漂う美しさがあります。
今日、撮影でお邪魔したある証券会社。応接室のショーケースの中に李朝白磁がありました。
ガラス越しですが、やはりいいものは良いですね。


実物はもっと白い

2005年2月17日(木) 都市のなかの民家

大阪の南森町というと日本一長いアーケードの商店街として有名な天神橋筋商店街の南の起点です。
都市化が進み戦前からの民家はほとんど姿を消そうとしていますが、歩いているとまだまだ瓦屋根の家を見かけます。
この界隈は都市計画道路の建設などでこのような民家は一挙に姿を消しました。



2005年2月18日(金) 127億光年の距離

今日の朝日新聞のトップページに「127億光年―最遠の銀河団」との見出しのもと、ハワイのすばる望遠鏡がとらえた127億光年離れた銀河の集団の写真を掲載しています。
写真の美しさもさることながら、宇宙のスケールでは「距離がそのまま時間を示している」という日常ではあまり意識しない事実を再認識させてくれました。
127億光年前の宇宙をわれわれは今見ていることになります。妙な気持ちになります。
今では宇宙の年齢は137億光年とするのが有力ということですが、あと10億年の先が見れれば宇宙開闢の瞬間が見れるのでしょうか?
ついでながら音速の単位にもなっているマッハは1838年の今日、生まれました。

2005年2月19日(土) 縄文前期から稲作が?

読売新聞に「岡山県灘崎町の彦崎貝塚で約6000年前(縄文時代前期)の地層から稲のプラント・オパール(細胞化石)が出土した」との記事が出ています。
稲作は弥生時代に大陸から伝わってきたと学校では教わったような気がします。
その後の調査で、今では縄文晩期に伝わったという説が定説になっているようです。
今回の発見が正しい見解とすれば、稲作の歴史が簡単に3000年ほどさかのぼることになります。
三内丸山遺跡の発掘などで従来の素朴な縄文時代観が随分変わりましたが、稲作がここまでさかのぼると更に縄文時代の大幅な見直しがせまられるでしょう。


2005年2月20日(日) 小林多喜二

戦前のプロレタリア文学を代表する作家の小林多喜二が築地署で虐殺されたのが昭和8年2月20日でした。厳しい労働条件で働く人々を描いたプロレタリア文学ですが、私が青年のとき強い衝撃を受けたのは葉山嘉樹の短編「セメント樽の中の手紙」でした。
確か国語の教科書に掲載されていたと記憶しています。

『―私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌(はま)りました。
 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺(おぼ)れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細(こまか)く細く、はげしい音に呪(のろい)の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許(ばか)りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
・・・・・・・・・・・・・』

セメント樽の中に忍び込まされた手紙を発見したのも、過酷な条件で働くセメントあけの現場労働者。やりきれない時代背景を背負った人々の心情がせつなく伝わってくる短編でした。

2005年2月21日(月) 南森町

このところ南森町から程近い場所で映像編集をしていますが、南森町界隈では国道1号線に面した歩道のあちこちに自転車置き場が堂々と確保されています。


同じく国道1号線に面した場所に下のような看板見つけました。
おそらく実際の活動はされていないようですが、この「錺工」という文字、初めて見ました。
広辞苑には載っていませんが、「かざりこう」と読むようです。橋本さんは屋根周りの金属製品の加工をされていたようです。


昔は鈴、煙管、箪笥・屏風の金具、燈籠、神輿・山車の飾り金具といった小さく細かなものを専門にしていた細工職人のことをいったようです。特に江戸時代には女性の髪飾りがもっとも華美になった時代で、錺工の仕事がたくさんあったようです。
今では彫金をする人たちのことでしょうか。

2005年2月22日(火) 『そらの豆』

福岡での展覧会開催時、造形家で「アトリエ そらの豆」を主宰されている人に出会いました。
「そらの豆」、面白い命名で興味を持ちました。

『空は何もないようで、雲が湧き、雨が降り、風が吹く、昼にも夜にもなる。実に複雑。
何もないからいろんな現象が起きる。
豆は種で、生命の素の形。
何もない空に種を蒔く。』

実に柔軟な発想の方でした。

2005年2月23日(水) 春一番

大阪管区気象台は23日に近畿地方で春一番が吹いたと発表しました。
昨年より9日遅いということです。
春一番は春を運んでくる風といわれていますが、どうやらまた寒くなるようです。
春二番は桜の花の開花を誘う意味で「花起こし」
春三番は「花散らし」と呼ぶこともあるそうです。

2005年2月24日(木) 雨水

春一番も吹き、雨水も過ぎたというのに雪が降って氷も張りなかなか春の兆しには遠い感じの日が続いています。
北海道のある地方では氷点下三十数度を記録したなどとラジオが報じていました。
想像を絶する寒さだと思います。

2005年2月25日(金) つぼみ

寒いといっても季節は確実に春に向かっています。
数日前まではほんの小さなつぼみが、今日は少し硬さが緩んでいました。
白木蓮の蕾です。
あと一ヶ月もしないうちに真っ白い大柄な花を咲かせることでしょう。



2005年2月26日(土) 裏山の整備

今、日本全国の里山は手入れが悪く、荒れ放題。
ライフスタイルの変化で荒れていくのは必然の結果でしょう。
工房の裏山もご多分に漏れず荒れています。

このところ森林組合の人たちが毎日数人ずつ山に入り、一ヶ月近くなにやら作業されていました。チェーンソーの音がしていたので山の手入れをされているのだな、とは思っていましたが、山に分け入ってみると、意外と工房のすぐ近くで作業されていたらしく、かなりの面積で整備がされていました。
上のほうまで上がっていないのでどこまで整備が進んでいるのかわかりませんが、うれしくなりました。どういう経緯で整備することになったのかは知りませんが。


斜面での作業はなかなか大変。


切った枝や幹が風や雨に対して移動しないように置いていく。


それに新発見。
今までこんもりしたところがあるなぁ、というくらいしか思っていなかった場所が実は炭焼き窯だったのです。
窯の上を何十回となく通っているのに気が付きませんでした。
工房の端からほんの十数メートルのところです。
うれしい発見でした。


窯の上は良く通っていたが、窯の前は何故かよく見ていなかった。

2005年2月27日(日) 小学生の絵

猪名川町のJUSCOに何校かの小学校の児童の絵が展示されていました。
まず技法の多様さに驚かされました。
私たちが子どもの頃と比べると表現力も豊かになっているのだろうと思います。
低学年の児童の作品は特に迫力があります。
高学年になるにつれ、頭で整理して描いているようすがわかります。



















2005年2月28日(月) 地蔵菩薩

猪名川町の多田銀山と能勢町長谷を結ぶ山道に才の神峠があります。
その峠に小さな地蔵菩薩が佇んでいます。
江戸時代前期のものと推測されていますが、穏やかな表情をしています。
才の神峠は源平の合戦場となったり、丹波杜氏や多田銀山への旅人が足繁く通った交通の要衝だったようです。
人々の苦しみをわが苦しみとして感じとってくれるこの石仏の穏やかな表情に当時道行く人はほっと一息ついたことでしょう。




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