ワレモコウもミズヒキ同様、秋の訪れを感じさせます。
いずれも簡素で少し寂しさを漂わせています。
いかにも秋の導入にふさわしい野草です。
胴体が太く毛深い感じで一見すると蛾のように見えますが蝶です。
イチモンジセセリといいます。
人の気配を感じ、上の写真の場所から下の写真の場所に、距離して4〜5m石が飛んでいくように直線的にすばやく移動しました。
色づく実を付ける頃になりました。
工房の屋根の上まで柿が枝を広げていますが、実が落ちるたびに音がします。
かなりの数が熟す前に落下することがわかります。
大型の台風が接近。
九州は大きな被害を受けました。
水田の畦にツユクサが咲いています。
みずみずしい野草ですが、雨を被りみずみずしさの二乗になりました。
ラン科ではなく、ユリ科の野草です。
工房の坂道に咲いています。
8月の中旬から花を付け、長く楽しませてくれています。
ドクダミ、ユキノシタとともに民間薬として戦前までよく利用されていたと言われているのがゲンノショウコ。
多くの野草の中で、埋もれるようにして咲いていました。
京都の写真家、野寺夕子さんの花の写真カード1250枚を独自の構成で展示する「微熱花暦展」は
以前紹介しました。
所を変えて、同じような試みがつい先日行われました。
古い民家を修復して活用されている。落ち着きます。
カメラを少し右に振ると
今回は水墨画を描いているグループとのコラボレーション展示です。
野寺さんの写真は白黒写真に単色のフィルターをかけたものです。
見る人は展示写真を前にして、実際の花をイメージするのではなく花を離れて巧みに構成された色と形から自由な想像を許されます。
一枚一枚がモノトーンであるだけにイメージの幅が広がります。
水墨画も墨の濃淡で描かれた色の要素のない世界ですが、それ故に見る人は自由です。
描かれた形も写実とは一味違う、イメージの深みに誘います。
やさしい人の顔が
写真と水墨画、異質なようで意外と共通項があり、共振していました。
草の中に埋もれた感じですが、太陽に当て乾かしているところです。
時間とともに太陽の位置が変わるので、器を表にしたり裏にしたり方向を変えたりして太陽の光をムラ無く万遍に受けるようにします。
瓢箪やボーリングのピンのような形をしていますが、そうではありません。
どことなく人のように見えませんか。
白い土で作っていますが、出来上がりは黒くなります。
俵壺と呼ばれるもので、古くからある形です。
底に少し傷のようなものが見えますが、貝を3っつ底に敷いて焼いた跡です。
隣のブロックの塀が恰好の干し場になっています。
午前中は太陽を浴びますが、午後になると木の枝が太陽をさえぎります。
すると、9月14日の紹介した辺りに移すことになります。
トンボやチョウ、トカゲなどの虫たちの訪問を受けますが、時には上から熟した柿の実が落ちてきて被害にあうこともあります。
わらを巻いて焼成すると、その部分が赤褐色に模様がつきます。これを「火だすき」といって、備前焼の作品にはよく見うけます。
この作品は信楽の白っぽい土に「火だすき」を施してみました。
壺の色が付いている部分は火の走った跡で、壺の上部の点々はマキの灰が降りかかった跡です。
直径19.5p 高さ17.0cm
赤貝のうえに壷を置いて焼成すると、釉薬が溶けるとき貝殻模様ができます。
それを利用して赤貝の貝殻模様を壷の表面に写し取りました。
長径20p 短径17p 高さ17p
昨年もこの時期
紹介したな!と思ってみてみると、一日違いの9月24日に紹介していました。
今を盛りに彼岸花が田んぼの土手をはじめとして至る所で咲いています。
忌み嫌われていますが、美しい花です。
花自体、象徴主義ですが、彼岸花はその際たるものです。
ルドンの幻想の花を見るおもいです。
穴窯焼成の小品3点です。
同じマキを燃料としても窯の構造が変われば火の流れが変わリ作品にその違いが現れます。
穴窯から生まれるものは古風な味わいがあります。
ピンクのかわいい花です。
まだ蕾の状態ですが、開くと愛らしい花をつけます。
溝のような湿ったところに生え、花や姿が蕎麦に似ているところからこの名前が付いたそうです。
昨日はミゾソバでしたが、今日はミゾカクシ。
溝の縁などに群生することからこの名が付いたといわれています。
私が見たのは点在していました。
桜色とか淡紅紫色とかこの花の色を表現していますが、ほとんど白色をしていました。
キキョウ科の花で、気品を感じます。