徒然の記

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2004年9月1日(水) 祈りの器、ゆず味噌

昨日から車のライトをつけっ放しにしていたらしくて、バッテリーがあがってしまいました。
ガムランの松宮さん(8月22日の日記に登場)にその旨話すと、「それは、良かった」「おかげさまで」と訳の分からない会話をしたのち、駆けつけてくれ、じきにチャージ完了。
工房でお茶を飲みながら、一休み。
以前、彼にゆず味噌をあげたとき甚く気に入ってもらったことを思い出し、冷蔵庫に保管している残りのわずかを祈りの器(仮名)に入れてあげることにしました。
祈りの器は訳あって商品にはなっていませんが、白土と黒土の二種類の焼き締めの器です。
以前黒土に入れて渡しているので、今度は白土の器に入れて渡すことにしました。
松宮さんは大喜びして立ち去りました。少しずつ惜しむようにして頂いてくれることでしょう。

2004年9月2日(木) 雨だれ、虫の音

工房にて……………
昨夜から明け方まで間断なく小雨が降り続いています。
雨だれの音が一定のリズムを刻みます。
屋根に覆いかぶさる柿木。青い実が時々、落下し大きな音をたてます。
明け方3時。ラジオからディック・ミネの歌声。
小雨の中、虫の音が止むことなく一晩中、夜が明けてからも続いています。

2004年9月3日(金) ゲンノショウコ

工房の生え放題の草の中にゲンノショウコの花が咲いていました。
イシャイラズ、テキメンソウ、葉の形が似ていることからネコアシとも言うそうです。


愛らしいゲンノショウコの花


2004年9月4日(土) 祈りの器(仮名)

9月1日に少しふれましたが、祈りの器(仮名)について少し。
古墳時代の古代人の気持ちになって作った器です。
「どんな気持ち?」と言われると困るのですが、気持ちを無にして作ったものです。
左が鉄分の多く含んだ黒い土、右が鉄分をほとんど含まない白い土で、釉薬を掛けずに焼いたものです。画面では分かりませんが、焼いたときの収縮率の違いで黒い土の器のほうが小さくなっています。また耐火度も黒い土は弱く、温度の低いところに置いたにもかかわらず少し変形しています。











祈りの器(仮名)


なお、祈りの器シリーズの第2弾は「ゆったり取っ手付碗」として作品になっています。



2004年9月5日(日) 地震

大きい地震がふたつありました。
みっつめはないと思いますが。
近畿・東海地方を中心に周辺地域も含む広範囲な地震でした。

2004年9月6日(月) マンジュシャゲ

まだ少し早いようですが、マンジュシャゲが咲いていました。
一時期にいっせいに花を咲かせ、いっせいに消える花。
一般的には忌み嫌われますが、華やかでそのくせ渋く、美しい花です。
道を挟んで白い花が咲いていました。名前は分かりません。
ご存知の方、教えていただけるとありがたいのですが。


花が咲いているときは葉はありません


この花も可憐で美しい


2004年9月7日(火) 大木倒れる

工房の下の大木が台風18号の強風でまっぷたつに割れて片方が完全に倒れてしまいました。
倒れるとき電線を巻き込み、現在停電です。
関西電力が危険回避の応急処置をしてくれましたが、今日中の復旧はどうやら無理のようです。
春、他の木々が新緑をつけても、この木だけはなかなか新緑が出ず、もっとも遅く芽を吹く木でしたが、残念なことをしました。


こんな大きな木が信じ難い


ふたつに裂けた


やがてこちらも倒れるか!この木の下にも工房への電線が


危険回避のための応急処置


2004年9月8日(水) 棚田

昨日とはうってかわって風はなく、青空が広がっています。
大阪にもこんなにのどかな田園風景があります。
「日本棚田100選」「大阪緑の100選」にも選ばれている長谷の棚田です。
山間地で水平な土地を確保することがいかに困難なことかを示しています。作業が大変なことから棚田の風景も次第に消えてゆくことでしょう。
棚田の一部は大阪府民農園になっていて、春の田植え、これからの刈り取り時期は多くの人でにぎわいます。
昨日の台風で稲穂は倒れたことでしょう。


能勢町長谷の棚田、一部は大阪府民農園に



2004年9月9日(木) 大木後始末

7日の台風で倒れた楡の木。
能勢の森林組合の人が後処理にやってきました。
3人一日がかりできれいに片付けてもらいました。
森林組合の人の話では、能勢の吉野地区の2軒の住宅が台風16号で木が倒れて潰れたということでした。今年の台風は数が多いばかりでなく、被害も甚大です。
話をしていると、一人が沈寿官さんの親戚だということで、驚きました。


下の段に倒れた幹を切断し引っ張りあげる作業


もう一方の幹を倒して運べる長さに切断


根元はこんなに大きい楡の木。切れ味抜群のチェーンソー、うらやましい


2004年9月10日(金) 秋の夜の侵入者

一晩中虫の音が響いています。
夜、どこからともなくウマオイがやってきました。
美しい姿をしています。



2004年9月11日(土) 音楽会

緑と山に囲まれた旧小学校跡地校庭でバイオリンとピアノの演奏会が開かれました。
Cafe氣遊の井上さんを中心にたくさんの賛同者が集まり企画された音楽会でした。
当日は天候が心配されましたが、曇り空でしのぎやすい絶好のコンディションになりました。
屋外の演奏ではじめは少し違和感がありましたが、すぐに耳が屋外モードに慣れたのでしょう。バイオリンとピアノと時折聴こえるセミの音の流れに身を浸し至福の時間を過ごしました。

能勢の人で、いま神戸にバイオリン制作工房を開いている三宅さんはオリヴィエ・シャルリエさんのバイオリンを見せてもらい、手にとって大感激。本当に勉強になったとおっしゃっていました。
多くの人を満足させたオリヴィエ・シャルリエさん、増永憲行さん、それに企画実行された皆さん、ありがとうございました。


北山さんたちの手作りの特設ステージでの演奏会


「こんな環境での演奏、忘れることのできない演奏になるでしょう」とオリヴィエ・シャルリエさん


親切で気さくなオリヴィエ・シャルリエさん 「今度、三宅さんの作ったバイオリンを弾いてみたい」


バイオリン制作への力がいっそうみなぎったようです


Cafe氣遊のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/cafe/kiyu

2004年9月12日(日) 玉虫

能勢で初めて玉虫に出会いました。
大阪の住吉大社で見つけて以来、4〜5年振りでしょうか。


2004年9月13日(月) 蛇VS蛇

こんな光景はじめてみました。
蛇の種類はよく分かりませんが、飲み込んでるほうがシマヘビ、飲み込まれているほうがシロマダラではないかと思われます。
なぜこのような事態になったのでしょうか。
どちらもまだ子どもです。
お互いが思いもよらずはちあわせ。驚きのあまりとっさの行動。
シマヘビがシロマダラより少し大きくて強かったのでこのようなことになったと思われます。


どうなってるの?


信じられない


2004年9月14日(火) 足腰の弱り

最近、足腰の弱体化が激しく自覚されるようになってきました。
時折するラジオ体操では足元がふらつくし、ぬかる田んぼに入ればバランス感覚を失いこけそうになるし、重いものを持って坂道を歩くと足下がおぼつかないなどさんざんです。
ちょっと歩くようにしなければなりません。

2004年9月15日(水) パソコン、ダウン(1)

インターネットで調べものをしている途中パソコンが急に変になってしまいました。
そこで強制終了をしても固まってしまい、やむなく電源を落とすと、例のCドライブのスキャンを勝手に始めます。
通常スキャンのバーが100%を示し、スキャンが終了するとパソコンは復活するはずですが、今回は画面はブルーのままで上下に圧縮された文字のようなものが出て、またしても固まってしまいました。
これは一大事。OSの再インスツールしかないか?そうなるとデータがすべて失われる?
いやな予感が頭を満たしました。
さっそくメーカーに電話をすると、Safe Modeが生きていればデータの保存は可能とのこと。そこでSafe Modeを立ち上げてみると、CDのアイコンがなくCDでの保存は不可能。
「ハードディスクの内容そのまま救済する方法はないのか」
こんな時は、あの人!
この「徒然の記」の立ち上げをサポートしてくれた知人に連絡をすることにしました。

2004年9月16日(木) パソコン、ダウン(2)

彼は大学でデザインを教えている先生で、ソフトの開発からハード面まで詳しいようです。さっそくパソコンを彼が教えている大学までもっていくことに。ちょうど夏休みで学生はほとんどいませんが、いろいろ考えることもあって忙しい様子です。
貴重な時間をパソコンの修復に当ててくれました。私は全く知りませんでしたが、ハードディスクが物理的に破損していない限り、ハードディスクの内容をそっくりそのまま別のハードディスクにコピーすることができるそうです。
それを聴いて一安心。
しかもOSも上書きしてやればコピーしたディスクがそのまま使え、他のアプリケーションソフトはコピーしているので再度インスツールする必要もなく願ってもないことです。
とは言え、なかなかややこしく深刻な現象が次々と現れます。

「ひょっとしてウイルスに罹っているのでは?」と彼。
高をくくってウイルス対策ソフトを入れていなかったのです。
日付をまたぎ、17日の午前1時を過ぎています。
ウイルスチェックをかけたまま大学をあとにしました。

2004年9月17日(金) パソコン、ダウン(3)

彼に電話すると「やはり、ウイルスに罹っていたよ」という返事。
さっそくウイルス対策ソフトを購入して大学に駆けつけます。
改めてウイルスチェックをすると、10種類以上のウイルスを発見。知らない間によくもこんなに!少しおかしい現象が起きているとは感じていましたが、ここまでとは思ってもみませんでした。
それとウイルスではないそうですが、インターネットの画面が次から次に現れたり、終了できない現象にも陥っていたようです。
それの修復がやっかいで、やはり午前0時を過ぎてしまいました。
何はともあれ、彼の粘り強い作業のおかげでパソコンは完全復旧しました。

2004年9月18日(土) パソコン、ダウン(4)

私のパソコン環境で果たしてうまく作動するか、ドキドキしながら周辺機器と繋ぎ、ADSLとも接続しました。
さあうまく動きますでしょうか?
アプリケーションソフトはうまく立ち上がります。
次に、メールの受信を試みます。
接続するとさっそくウイルスが押しかけてきます。ウイルスバスターが働いて9つのウイルスの侵入したメールを削除しました。これみんなウイルスだったのか!
一安心もつかのま。ウイルスバスターのウインドウを消すと、その下に[Microsoft Internet Exploreのウインドウ]が現れ、
「Wellcome to the System Performannce Wizardとか言って、Your PC may be infected with SpyWare.・・・・・・・」
OKボタンを押すように指示があるので、つい押してしまいました。
押しても何ら実行された様子はなく、変化しません。
仕方なく×でウインドウを閉じようとしますが、固まってしまい、強制終了も機能しなく、電源を落とすことになりました。
次に電源を入れ、メールやインターネットに接続しようとしても全然反応がありません。
彼に聞くと[Microsoft Internet Exploreのウインドウ]そのものがウイルスだったのです。

2004年9月19日(日) FM受信

工房ではラジオをつけることがよくあります。
TVより貴重でためになる情報が耳から入り、それについて考えることもあります。
今まではAMしか入らずFMが聴きたいなと思っていましたが、FMアンテナがなく受信できないものと思っていました。
簡単に受信できると聞き、インターネットで調べると「同軸ケーブルの芯をアンテナに巻き、ケーブルを延ばし方向をいろいろ変えてみる」ようにでています。
その指示通りにやってみると、ほとんどノイズも入らず4局の電波が受信できました。
知っている人からみれば「そんなことも知らないのか」と笑われてしまいそうですが、知ると知らないではえらい違いです。
おかげでより快適に作業ができそうです。

2004年9月20日(月) 打撃の職人

10年前の1994年9月20日、オリックスのイチローが1シーズン2000本安打を達成しました。最終的には210安打という大記録を樹立しました。
そのイチローは大リーグでも大活躍。今、大リーグの1シーズンの最多安打記録に挑戦しています。
イチロー以前の打撃の職人といえば、張本勲や山内一弘がいますが、皆さん個性的なフォームで高打率をマークしています。
芸道でいう[守離破]の[破]の境地に達した人たちです。

2004年9月21日(火) パソコン、ダウン(5)

勤めを終えた彼がわざわざ自宅まで来てくれました。
3種類の被害対策ソフトで対処した結果、ほとんどの悪質分子は除去できたのですが、わずかの残党が悪さを働いてインターネットにアクセスする瞬間、悪党一味を呼び込もうとするのです。
ADSLに接続しない限り、アプリケーションソフトは問題なく作動するのですが、困ったものです。
ソフトでは限界があるようなので手動で問題の箇所をひとつひとつ駆除しようとしますが、なお問題が残り完全解決とまではいかないうちに、この日も夜の12時を超えタイムリミット。

2004年9月22日(水) パソコン、ダウン(6)

どうしても回復が見込めないので、彼のところに入院させることになりました。
名医に徹底的に診察してもらうことになりました。
しばらくはホームページの内容の更新はできませんが、「徒然の記」や「掲示板」は稼動しますので遊びに来てください。

2004年9月23日(木) 永仁の壺事件

加藤唐九郎といえば陶芸にあまり興味がなくても名前くらいは聞いたことがあるという人は多いでしょう。
1960年の今日、いわゆる『永仁の壺事件』が起こりました。
『永仁の壺事件』とは何でしょう?

あるホームページには次のように紹介されていました。
【昭和12年、陶芸家・加藤唐九郎は、一対の壷を焼く。その品は突如昭和18年に、守山志段味村の村長により、無名の松留古窯出土品として考古学雑誌に発表されることとなった。『瀬戸飴釉永仁銘瓶子』、俗に言う“永仁の壷”である。鎌倉期の永仁年間の銘が刻まれた名も知れぬ完品の出現に、当時の陶芸界は騒然とした状況であったという。
時を経て昭和34年、ある文部省文化財調査官の尽力によって国宝に指定となった。ところが翌年から「本物か偽物か?」の疑惑が専門家の間で彷彿とわき上がった。これにマスコミも呼応し、全国的報道が展開されることとなる。

結局、作者の加藤唐九郎はヨーロッパに逃亡するが、ある新聞記者の執拗な追跡に根負けし、ついに自作であると発表。昭和36年に国宝指定を解除される顛末となった。これが有名な偽作「永仁の壺」事件である。】

国宝は重要文化財の誤りで、ある文部省文化財調査官とは小山富士夫氏のことです。
陶芸家で初めて人間国宝に認定された唐九郎でしたが、この事件で認定を取り消され、一切の公職を辞し野の陶人として生涯を通しました。

2004年9月24日(金) チカラシバ

この時期、よく見かける草。
チカラシバというそうですが、その名の通りこの草はなかなか抜けません。
工房に今、ゲンノショウコ(9月3日の「徒然の記」)と同居して生えています。
チカラシバを大量に花生けに生けると、妙な野趣があってなかなかいいものです。


雨上がりの朝日を受けるチカラシバ


2004年9月25日(土) 沢村栄治

1936年の9月25日往年の名投手、巨人の沢村栄治氏が甲子園球場で日本野球史上初のノーヒット・ノーランを達成しました。
沢村氏は1937年と1940年にもノーヒット・ノーランを記録しています。
年配の方なら誰もが日本のナンバー・ワン投手は沢村栄治と言われるでしょう。
戦地と球場を往復していた沢村氏でしたが、1944年の3度目の出征で戦死されました。

2004年9月26日(日) 芝居小舎公演

能勢町のお隣の町、豊能町のユーベルホールで行われた芝居小舎公演を見に行きました。
「舞台は戦後間もない大阪。極貧家庭に育ったキヨコ。家族の生活を助けるために靴屋に女中奉公にでます。3人いる弟と妹、両親と兄が働けど働けど楽にならない生活。キヨコは家族のため朝から晩まで働きぱなし、一日の休みもありません。唯一の楽しみは親友の妙子との手紙のやりとりだけです。
3年間は家族に会わないと決意したキヨコ、ただただ家族のため明るく、逞しく働き続けます。一生懸命で裏表なく働くキヨコは奉公先でも好意的に受け入れられます。
しかし、奉公に来てから痛み出した腹痛は我慢の限界を超え、倒れ、緊急手術になります。」

芝居は女中奉公にでたキヨコを案じ思う家族や妙子、キヨコを想う修行僧の黒崎などの感情が細やかな構成と演技で表現されています。人を思いやる心、逞しく生きることの素晴らしさ、家族の絆の大切さなど改めて教えてくれた芝居でした。
会場から目頭をハンカチでぬぐう人、鼻をすする音が絶えませんでした。


「キヨコの青春」


芝居小舎のホームページ
http://www.eonet.ne.jp/~shibaigoya

2004年9月27日(月) セロトニン

セロトニンという脳内物質があります。
興奮したり、緊張したり、運動したりすると多量に発生するアドレナリンは誰もが知っていますが、セロトニンはあまり知られていません。
セロトニンが不足すると、鬱状態になるそうです。
そこで鬱状態の人はセロトニンの分泌を活発にさせる薬を服用すれば、憂鬱な気分や暗い性格が修復され、前向きで明るい気持ちになるということです。
一方、人はリラックスしたり、心静かに瞑想などすると、セロトニンが増えると言います。「病は気から」などとも言います。
粗っぽく言えば、前者は人間を唯物論でとらえ、後者は人間を唯心論でとらえようとする立場です。両方のとらえ方が大切ではないでしょうか。

2004年9月29日(水) パソコン、完治

パソコンが直ったという知らせを昨日の夕方受け、早速受け取りにいきました。
昨夜からの台風と秋雨前線の影響でひっきりなしに雨が降っています。
三田経由のため久しぶりに師匠の工房へ立ち寄り、阪神高速北神戸線に乗りました。
一時はワイパーを早く動かしても前が見えないくらいの雨の中、急ぎましたが、大学に着くとなぜか雨は止んでいます。
早速彼に会い、パソコンの調子をみると故障前の状態よりもよく、どうやら以前からウイルスが住み着いていたようです。
9月15日に感染したのが決定的で、日本ではあまり出回っていないウイルスらしく海外のサイトからその退治方法を調べて直したということです。感謝感謝です。
これで一切のデータを失うことなく、今回のパソコン騒動は決着しました。

2004年9月30日(木) 棋士、タイトル戦の服装

今、囲碁の名人戦7番勝負が行われています。
2日かけて1局を戦い、29日、30日に行われた第3局は依田紀基名人が挑戦者の張栩本因坊に勝ち、対戦成績を2勝1敗にしました。
勝負のことは別にして、依田名人は和服、張本因坊は洋服です。
囲碁の7番勝負は名人戦のほか本因坊戦、棋聖戦と3つありますが、依田名人以外はタイトルホルダーも挑戦者もすべて洋服で戦います。タイトルを争う年齢層が若返り、和服は苦手と言うだけではなく、たまに登場する年配の棋士も洋服です。20年位前までは両対局者が和服で戦うことも多かったように思いますが……
依田名人は和服を着るとは気合が入る、というようなことを言っています。
ところが将棋となると、竜王戦、名人戦、王位戦、王将戦の7番勝負はもとより、棋聖戦、王座戦、棋王戦の5番勝負までタイトルホルダーも挑戦者も和服で登場します。二十歳そこそこの挑戦者も和服を着ます。和服の伝統は生きています。
囲碁は国際化がはじまって、国際棋戦(国籍に関係なく一つのタイトルを争う棋戦)も多いことや日本のプロ棋士(日本棋院と関西棋院の棋士)に韓国や台湾出身の強い棋士が多いことも洋服主流の一員になっているようです。韓国や中国に押されがちの日本の棋士。和服を着れば強くなると言うものではありませんが、7番勝負くらいは和服で戦って欲しいものです。

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