徒然の記

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2004年10月1日(金) 土の日

10月に入り衣替えですが、暑い日が続きなかなか涼しくなりません。
10月1日は、法の日、コーヒーの日、日本酒の日、印章の日、デザインの日、万国子どもの日、ネクタイの日、土地の日、メガネの日、国際音楽の日、福祉用具の日、浄化槽の日、などとなっています。
任意団体が勝手に制定したものもありますが、多くの日が10月1日を特定の日に定めています。
季節の変わり目ということもあるのでしょう。

「土地の日」は国土交通省が10月を土地月間としたことからその最初の日をそう呼んだもので、土地の有効利用について関心を高め、理解を深めることを目的としています。
窯業や農業に携わっている人にとっては「土地の日」を「土の日」と置き換えて土のことを考えてみるのも大切です。

2004年10月2日(土) 素焼き

昨日はからっと晴れた日本晴れ。
素焼き前の作品を天日で一日中、気持ちよく干したところで今日、窯に詰めて素焼きしました。
早朝6時から師匠の登り窯の窯焚きも始まっています。
明日は21時頃、そろそろ佳境に入る辺りから助っ人に行ってきます。

2004年10月3日(日) 課外授業

「火祭り」と称して登り窯を焚く師匠の窯焼きは多くのギャラリーが見学に来ます。
通常21時頃はまだギャラリーは多いのですが、今回はごく熱心な少人数の人達が魅入られるように日を眺めていました。
2日の6時から「あぶり」(一番下の部屋のことを胴木間と言ったり火袋と言ったりしますが、この部屋をトロトロ時間をかけて焼くこと)を始め、3日の8時から火袋の両横の焚口からも薪を投げ入れ始めます。
一番下の部屋の一つ上の部屋を「一の間」と言います。
登り窯は基本的に、一番下の部屋から上の部屋に向かって一部屋づつ順番に焼き上げていきます。
「火袋」から「一の間」に移ったのが4日の1時過ぎです。火袋は15時間焼いていたことになります。

「火袋」焼成の終わる1時前、ギャラリーの篠山市の狂言師、山口耕道さんが師匠の提案を受けて「課外授業」をしてくれることになりました。
役者の舞台での性別、年齢層別の歩き方の表現。声の出し方。
興味深い話題を、実演と実習を通じて教えてくださいました。参考になることが多々ありました。山口さん、ありがとうございました。
その後の窯焚きは随所に狂言のウイルスが侵入し、変わった窯焚きになりました。コンピュータに進入するウイルスとは大違いです。


土俵の仕切りではありません。山口耕道さんによる狂言の課外授業


課外授業も終え、「火袋」最後のオオクベで最大級の炎を吐く。次から「一の間」の焼成に入る

2004年10月4日(月) 窯焚き終了

4日、16時頃無事窯焚きは終了しました。
今度は11月の中ごろ、「窟窯」を焚くと言うことでした。
今回、焚き手スタッフとして参加した兄弟子の高田さんは、7日から淡路島の登り窯を焚くと言っていました。大変温度が上がりにくくて苦労しているようですが、健闘精神を期待しています。
私の窯焚きも近々です。

2004年10月5日(火) ラオスの村に産業を

ラオスのある村落に入って、村人に織と染の技術を伝えてこられた牧さんの日本での発表会が西宮で行われました。綿花から栽培し、糸を紡ぎ、布を織り、草木で染め、仕立てる工程を村人と共にされてきた成果の発表です。
牧さんは7年前から村に入り、年間の三分の一から半分はラオスで生活されています。今では定年を迎えた連れ合いも一緒に行動され二人三脚での国際支援です。
ラオスは国土の大半を山岳が占め、国民の生活は楽ではないそうです。
そんななか牧さんが手がけた織と染は村の産業として着実に成果があらわれ、ラオス国家からも期待されています。いつもイキイキとした表情の牧さんご夫妻です。資料を工房に忘れてきましたが、連絡先などまた書いておきます。


背中が牧さん

2004年10月6日(水) 新品の棚板

注文していた棚板が届きました。
棚板の上に作品を並べて焼成するので、棚板が歪んでいると上に乗せた作品も歪んで焼ける恐れがあります。特に長い皿や高台(底面積)の広い器などはその危険性が増します。歪めばガタツキます。
長年棚板を使えばわずかではありますが凹型に湾曲してきます。
今度の窯焚きでは長い皿と高台の広い器が多く、棚板の精度が要求されるため新品の棚板を購入した次第です。
今まで使っていた棚板は50p×36p、購入したものは50p×35p。この1cmの差は小さいようですが実際の作業では大きいような気がしています。

2004年10月7日(木) 草刈

夏の間、一度も草刈をしなくて歩く範囲を残して草に覆われてしまった工房。
やっと草を刈りました。
これで雨が降ってもズボンの裾が濡れなくてすみます。

2004年10月8日(金) ウイルス

1時間前にウイルスバスターの最新版にアップデートしたのに、その最新版では隔離できないウイルスが3個進入しました。
念のため最新の最新版があるかどうか確かめるため最新版をアップデートすると、1時間の間に最新版が出ています。
ウイルス検索をかけるとやはり、ウイルスが3個検索され、隔離してくれました。
先月のウイルス、スパイウェア騒動以来、この手の侵入者には少々神経質になっています。

2004年10月9日(土) ネットワーク大地

予想されていた台風22号も関西を避け穏やかな天候のなか「NPOネットワーク大地」の阪神事務局(西宮)のオープニングイベントがありました。
今から15年前、冒険と探検をテーマにらくだに乗って砂漠を歩くなどのイベントを企画運営していた任意団体「大地を歩く会」を母体に発足したもので、抽象的に言えば●国際協力・支援・交流の活動●環境保全●災害救助活動●青少年の育成が主な活動分野だということです。
来年の愛知万博『愛・地球博』にも出展するそうです。
詳しいことは「NPOネットワーク大地」のホームページをご覧ください。
http://www.earth-link.org




挨拶されている方は関西支部代表の島さん



2004年10月10日(日) ひとりで飲むお茶

小さい急須を作ってみました。350mlの缶ビールと比べるとその大きさが分かると思います。
といってもこれから窯に入れますので作品はまだできていません。
焼き締め(釉薬を掛けずに焼くこと)で焼こうと思っています。
どんな仕上がりになることか。


2004年10月11日(月) 43微分音オルガン

昨日のこと。
ラジオから流れる音楽。初めて聞いたような音色の楽器、43微分音オルガン。
通常の1オクターブ12音階(白鍵7つに黒健鍵5つ)を43音階で1オクターブになるように改良したオルガンで、心地良いのか、悪いのか、体の力が抜けるような、よく分からない不思議な音色(不協和音?)を奏でます。
しばし、窯詰(作品を窯の中に詰めること)の作業を忘れて聴いていました。

2004年10月12日(火) 秋の日はつるべ落とし

美しい夕焼けが空をおおっています。
少し場所を変えて撮ろうと思い、車で1分足らず移動している間にすっかり赤みは消えていました。残念。
その後9つあるトンネルの最後を抜けた15分後には、車のライトがまぶしさを増す情景へと早変わり。
「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったもの。しかしつるべのある井戸なんてもうすっかり姿を消してしまいました。

2004年10月13日(水) 城山登山者

外でぼんやりしていると、初老の人が『城山の登山道はここですか?』と尋ねて来ました。
登山道というものはないのですが、谷筋を登れば頂上に着くので『最近手入れがされてないので大変でしょうが、登れますよ。』と、応えておきました。
10分もしないうちに、『木が倒れていて、道が分からなくなったので……』と言って引き返して来ました。
中に入ってコーヒーを飲みながらいろいろ話をしていると… 
「定年を迎えたのが4年前。それから全国の城めぐりを始めた。4年かけて北海道から沖縄までの城郭の跡、約1000箇所を巡った。今度は一部の石積などが残っている城跡を見てみたい。」ということでデジカメ片手に600ccのアメリカンスタイルのオートバイで行動。
住まいは大阪住吉区。北海道など遠方は1ヶ月くらいの長期、近辺は日帰りだということです。一見どこにそんなエネルギーがあるのだろうか、と思わせる風貌ながらおもしろい人に出会ったものです。
城山の麓に工房を作って、村人以外で山に入ろうとする人を見かけたのは二人目です。
ひとりは、犬5〜6匹従えた単独行動の猟師。
そしてこの人。
もう一人いました。城山への登山道の現地調査に来た府の人。あの計画はどうなったのでしょうか?

2004年10月14日(木) 鹿

工房は山懐にあります。
夜になると鹿の足音と共に息づかいが聴こえる所までやってきます。
工房のすぐ下に鹿や猪を捕獲する罠の檻が置いてありますが、そこに雄鹿がかかりました。
19時に車で出かけるときは何事もなかったのですが19時30分に工房に着くと、子連れの雌鹿が車のライトの先に浮かんで見えました。この30分の間にかかったようです。


暴れる鹿。天井の凸は捕獲の歴史を語っている。


2004年10月15日(金) 空があまりに青いので

秋らしい空になりました。
空気もひんやりする日もありますが、夏のなごりをわずかに残す日もあります。
今日は暖かい一日でした。


木・雲・空


稲の収穫も終わりにさしかかってきました。
この冬は籾殻でやきものを焼いてみようと思います。
農家の方に籾殻をいただきました。


一袋の籾殻は、横60p、縦90cmの袋4個分の量

2004年10月16日(土) 夢のハーモニー

若いころ足繁く通ったカウンター形式の居酒屋『五味の樹』。
マスターの博識に裏打ちされた毒舌とお客のそれぞれの価値観が時にはぶつかり、時には融合してエネルギッシュな空間をつくっていました。そして最後は「夢のハーモニー」に耳を傾けて帰ることが常でした。
今は阪急豊津駅のすぐ近くで鍋料理のお店を営まれています。
その『五味の樹』でギターとヴァイオリンのユニット、ROOTSの演奏会がありました。
アイルランド民謡を独自にアレンジした演奏で、古き良き時代の民衆の心を感じることができてすがすがしい気持ちになりました。
オリジナル曲もROOTSの想いがよく伝わり、曲を大事に育てている様子がうかがえ、ROOTSの心が染み入りました。
鍋料理がひと段落した後ではじまったROOTSの音楽は、長い時間をおいて聴いた「夢のハーモニー」の続きだったようです。


30人は聴覚と味覚を楽しみました。


ROOTS・・・・・・天満俊秀(ギター)さんと平野有希(ヴァイオリン)さん


ROOTSのホームページ
http://www.officeroots.com

五味の樹
06-6380-5311

2004年10月17日(日) NHK杯戦(囲碁、将棋)

久しぶりにNHK杯戦の囲碁、将棋をテレビで観戦しました。
将棋は久保利明NHK杯保持者対渡辺明6段。久保はA級在位の29歳の強豪。渡辺は昨年、羽生王座に挑戦し惜しくも2対3で敗れましたが、今年はこれから森内竜王に挑戦する20歳の棋士です。勝負は双方穴熊に囲い合う熱戦で、終盤あわやと思わせる場面もありましたが、中盤のリードを守りきった久保が勝ちました。
囲碁は依田紀基名人対張豊猷7段。依田はいわずと知れた名人。張は対局が始まるとすぐ背広を脱ぐファイター。布石のほとんどない戦いの連続で、局面はめまぐるしく変化し、最後は名人が貫禄を示して張の石を殺して勝利しました。
おもしろい勝負でした。
将棋は囲碁に比べて短手数で勝負がつきます。それだけ一手一手の価値が高く、少しのミスが負けに直結します。王をとられた方が負けで勝負もはっきりしています。
それに比べ囲碁の勝敗は相対的です。先に打つほうが盤面の石数が多くなるので有利になることからハンディキャップを負うようになっています。
そのハンディキャップが4目半、5目半、6目半と言うように時代と共に変わってきました。勝った負けたといっても相対的なものなのです。
勝負の性格は違いますが、短時間で感覚と深い読みを披露してくれる棋士の頭脳に頭が下がります。

渡辺明6段はホームページで日記を公開しています。興味のある方は
渡辺明6段応援サイトの「若手棋士の日記」をご覧ください。

http://homepage2.nifty.com/kisi_akira/



2004年10月18日(月) 写真をご覧ください

10月3日の徒然の記「課外授業」をはじめ、10月の初旬の徒然の記に本来なら写真が貼ってあるべきところに写真が貼られてない日がありました。
もう一度、ご覧いただけると嬉しいのですが。

2004年10月19日(火) ツワブキの花

よく見かけるツワブキ。
この時期になると黄色の花を咲かせます。
長い間花を咲かせる丈夫な植物です。
花を見ると納得しますが、葉からは想像ができないキク科の植物です。


2004年10月20日(水) 大雨

19時、ショッピングセンターへ買い物に行こうと外へ出てみた。
城山から鉄砲水が発生していた。
谷筋に沿って流れた水が工房への道を襲い、あっという間にふくらはぎから下がずぶぬれ。
ショッピングセンターは早く閉まったみたい。
交差点では警察官数人で交通整理。
大阪への道は閉鎖。
「ずいぶん雨が降るなぁ」

2004年10月21日(木) 柿の実

昨日の台風がうそのような青空。
鉄砲水の痕は表土流出でますます傾斜が急になったようです。
近所の石垣の上の柿、昨日の大風にもかかわらず実はほとんど落とさずにいます。
どうなっているのだろうか?


台風が何事でもなかったような風情の柿木


2004年10月22日(金) 石垣の表面

前日の柿木が生えているところの石垣の一部です。
石の表面は面白い表情をしています。
ついつい時間の経つのも忘れて見とれてしまいそうです。


いろいろな種類の苔が石の表面に繁殖する。


2004年10月23日(土) 竜王戦と名人戦

19、20と将棋の竜王戦の第1局(森内竜王VS渡辺6段)。
21、22と囲碁の名人戦の第5局(依田名人VS張栩本因坊)。
どちらも若い挑戦者が勝ちました。
張栩本因坊はあと1局勝つと、名人位を奪取し本因坊とあわせて囲碁界の第一人者になります。
依田名人も名人位連続5期に執念を見せると思われます。
竜王戦もはじまったばかり、手に汗握る展開が予想されます。

2004年10月24日(日) 朝の光を受けて

工房で寝ていると周囲に鹿たちの気配を感じます。
外にそっと出てみると、どどっと足音を残して逃げ去ります。
先日の籾殻を別の袋に移し変えると、50袋ありました。
朝日、といっても9時ころの光を受けて出番を待っているようです。
写真の一番奥の木立の向こうにいる鹿と昼間、目を合わせることがあります。
適度な距離があると目を合わせても見つめあったまま逃げません。


2004年10月25日(月) 越冬する蚊

夏のことを思うと蚊の数は減りましたが、まだ蚊がやってきます。
窓は網戸で蚊の侵入を防ぎますが、ふたつある出入り口はこのシーズン開けっ放しにしておくことも多く、するといつの間にか蚊が入ってきます。
今日も蚊取り線香は欠かせません。
工房の水溜りには、まだわずかですがボウフラが湧いています。
動きや泣き声はだんだん弱弱しくなりますが、まだまだ勢いがあります。
越冬する蚊も出てきます。

2004年10月26日(火) 八木一夫展

京都国立近代美術館で開催されている八木一夫展に行ってきました。
八木一夫が亡くなってもう25年経つのだそうです。早いものです。
「ロクロの造形は左右対称で形が限定される。例えそれに絵を描いたところで同じこと。
食器や花器など実用の器からの発想では造形としての面白さ、やりたいことまで届かない。
万葉時代には万葉時代の言語があった。現代は現代の陶芸があるべきだ。今のアルファベットを創りたい。」と死の前年述懐していたのがオブジェ焼を創造した八木一夫でした。
今から56年前に新しい陶芸の理念を掲げて陶芸集団『走泥社』を設立し、1954年に記念碑的作品「ザムザ氏の散歩」を発表することになります。
今回の展覧会にはその「ザムザ氏の散歩」をはじめ多くの代表的な作品を含めた約300作品が展示されていました。
一堂に並んだ作品を見ると多様に感じていたオブジェも時代と共に何種類かのパターンに整理されることがわかります。
粉引きに黒線刻、素焼きオブジェ、立体壁面オブジェ、黒陶という具合に変遷したように感じました。
ブロンズも多く展示されていましたが、色のニュアンスや表面の質感、重力を無視したような造形など陶芸作品より素晴らしく思えました。
最終的に到達した黒陶はすべて陶器でできているとはとても思えないような作品も多く、また朱色が登場しますが、あの色は何なのか、多くの疑問と興味がひかれます。
粉引き黒線刻にしろ素焼きオブジェ、立体オブジェ、黒陶、すべて今の私の関心事で非常に刺激的な展覧会でした。


雨の京都国立近代美術館


八木一夫展(10月31日まで)
京都国立近代美術館
http://www.momak.go.jp

2004年10月27日(水) 黒陶の正体

昨日の八木一夫の黒陶の疑問が図録の解説を読んで一部判明しました。
黒陶のなかに陶ではなく、鈍い金属のようなものを感じていましたが、「鉛の板」ということでした。また朱色は「朱漆」でした。
さすが八木。陶に限らずメディアミックスで自己の表現を確立していったわけです。
陶と実にシックリとマッチしていました。

2004年10月28日(木) バイクに乗った城山登山者

10月13日「徒然の記」のバイクに乗った城山登山者がニコニコしながら訪ねて来ました。
京都の美山町に行く途中で、前回撮影した写真を渡すために立ち寄ったということでした。
バイクの走行メーターを見ると一周回って6万キロを指していました。最近は日が短くなったので、立ち話で早々に走り去りました。
かやぶきの民家が立ち並ぶ村落を経て、また山城へでも登られるのでしょう。


バイクが相棒


2004年10月29日(金) 運搬車、快復

松宮さんありがとう。
おかげで、運搬車が再び動くようになりました。
これで10人力はゆうにあります。
ログハウスの前の松、2本「いただきー」です。
自慢のチェーンソーで運べる重さでよろしくお願いします。

2004年10月30日(土) 月明かり

昨夜は満月だったのでしょうか、月の光が冴え渡っていました。
地表にはくっきり木々の影、自分の影。少し遠くまではっきりとものの形がわかります。
もしかしたら本が読めるのでは、と思い実際に試してみますと、これが読めるのです。
新聞の文字くらいの大きさだったら何とかわかります。肉太の文字なら同じ大きさの文字をハッキリと読むことができました。
もちろん月明かりで読む気にはなりませんが……

2004年10月31日(日) ふたりの画家

喜多川歌麿とエゴン・シーレが亡くなったのが10月31日だそうです。
喜多川歌麿(1760?〜1806)は浮世絵の黄金時代を築き、美人画に本領を発揮します。
エゴン・シーレ(1890〜1918)はオーストリアの画家で不安や衝動を独特の表現で描いています。28歳の若さでなくなりました。
人物画を主に描いた興味深いふたりの画家です。
歌麿とシーレの絵が下のホームページに掲載されています。

喜多川歌麿の浮世絵
エゴン・シーレの絵画



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